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<title>自己洗脳計画　～色眼鏡日記～</title>
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<description>歴史・社会・時事問題をいろんな角度で見てみました
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<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352516.html">
<title>【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（４）万策尽きる</title>
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<description>（４）万策尽きる～銀行不信が全国に波及　
　緊急勅令となれば当然枢密院の諮問を経なければならなかった。政府が台銀に対して二億円を限度に日銀からの特別の融通をさせ、その損失補償を国庫でする趣旨の緊急勅令案について枢密院諮問の手続きをとったのは四月十四日であ...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-07-08T23:57:52+09:00</dc:date>
<dc:subject>政治・経済</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[（４）<b>万策尽きる</b>～<i>銀行不信が全国に波及</i>　<br>
　緊急勅令となれば当然枢密院の諮問を経なければならなかった。政府が台銀に対して二億円を限度に日銀からの特別の融通をさせ、その損失補償を国庫でする趣旨の緊急勅令案について枢密院諮問の手続きをとったのは四月十四日であった。台銀は四月十八日以前に特別融通が決定しない限り戸を閉める外ない状態にあり、勅令は十七日までに成立する必要があった。ところがその最終期限十七日に至って緊急勅令案は枢密院全会一致の議を以って否決された。若槻内閣は即日総辞職し、ここに未曾有の金融大恐慌の最後の幕が切られたことになったのである。<br>
　この議決の翌日四月十八日台銀は遂に大戸を閉じた。そしてそれは金融界全般の不安を極度に刺激し、二十一日には当時わが国で最大の資本金を持っていた十五銀行（後に現在の三井銀行に合併）が取り付けに堪え兼ねて休業し、その余波は全国津々浦々に及び、東京、大阪両地の手形交換所並びに銀行集会所では即日理事会を開き十二、三両日加盟銀行の一斉休業を決議し、そのとおり実行した。<br>
<br>
　一方若槻内閣の後継者田中政友会内閣は、右一斉休業明けの混乱に処するために四月二十二日以降三週間の一般的モラトリアムを施行する緊急勅令を企て、枢密院は二十二日一議に及ばずこれを承認した。一週間前に「緊急」と認めなかった災害が眼前現実に起こるに及んで、枢密院は簡単にこれを認めたのである。<br>
　更に、恐慌対策のための臨時議会を召集した。その臨時議会で成立した対策立法は、一度枢密院で蹴られて不成立に終わった台銀救済二億円損失補償法のほかに、もう一つ、全国一般の大小銀行の再会を援護するための特別融通五億円損失補償法であった。<br>
　当初震災手形の損失補償は大震災直後に決まった一億円だけであった。台銀救済に二億円、さらに次の特別融通損失補償に五億円、合計七億円が新たに加わった。震手騒ぎ以後の興奮と狂騒との総決算は、国庫の損失負担七億円増ということになった。<br>
混乱の土煙りが納まった後にハッキリとしたことは、若槻憲政会内閣が消え失せて、代わりに田中政友会内閣が現われたということであった。そして不思議なことには、かつて震手整理案に反対し、緊急勅令案を否決した人々は、その自ら否定し軽視した恐慌が、眼前の事実になったのを眺めても、ケロリとして口を拭い、前言を忘れたるが如く見えたのである。<br>
　この特別融通の結果、今まで金にならなかった全国銀行の財産が急速且つ盛んに換金されることになった。その結果払い戻された預金は、また巡り巡って銀行預金として累積し、一方折からの不景気で貸出先を狭められた銀行は、遊金の洪水に溺れるという始末になった。今日からすれば誠に夢のような話である。<br>
<br>
<br>
(。-`ω-) おしまい<br>
<br>
<br>
※このブログ記事の続き<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51346811.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（１）<br>
　関東大震災の負の遺産～震災手形問題</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51350882.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（２）<br>
　昭和二年の政局～片岡蔵相の失言と与野党の攻防</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352476.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（３）<br>
　台湾銀行の救済～鈴木商店の経営難と短期コール市場</A><br>
・【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（４）<br>
　万策尽きる～銀行不信が全国に波及<br>
<br>
<br>
]]>
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<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352476.html">
<title>【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（３）台湾銀行の救済</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352476.html</link>
<description>（３）台湾銀行の救済～鈴木商店の経営難と短期コール市場
　今日では閉鎖されて既に存在しないが、当時台湾銀行という半官半民の銀行があった。第一次大戦中の業務膨張がタタってその頃内容が極度に悪化していた。ところがその台湾銀行の最大の債務者は、当時神戸を本拠と...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-07-07T23:58:25+09:00</dc:date>
<dc:subject>政治・経済</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[（３）<b>台湾銀行の救済</b>～<i>鈴木商店の経営難と短期コール市場</i><br>
　今日では閉鎖されて既に存在しないが、当時台湾銀行という半官半民の銀行があった。第一次大戦中の業務膨張がタタってその頃内容が極度に悪化していた。ところがその台湾銀行の最大の債務者は、当時神戸を本拠として世界的に知られていた貿易商社鈴木商店であった。そしてこの商店もやはり当時金繰りに困っていることが公然の秘密として知られていた。これを逆にいうならば、鈴木商店の経営難が台湾銀行の経営難に繋がり、鈴木商店関係の震災手形が台銀手持ちの震災手形の主力であることも想像される状態にあったのである。<br>
　野党攻撃軍の目をつけたのはこの点であった。関係者の氏名を公表せよと執拗に迫ったのもそのせいである。当時反対派の猛将武藤山治（元鐘紡社長、当時実業同志会会長）の如きは、衆議院の反対討論で、「わが国には政商という一つの種族があって、金の儲かる時は自分の懐に入れ、損をするときは政治家と結託して国民の膏血から成る国家の金をもって救済を受ける国である」とまで極言した。政府とその政商―暗に鈴木商店を指す―との間に醜い関係ありとまで断じているのである。<br>
　そうした政府との醜い関係まではともかくとして、鈴木が台銀最大の債務者であり、また台銀が最大の震災手形の持ち主であったことは間違いない。整理案が立案された当時に残存していた震災手形の二億七百万円の約半分が台銀の関係であったと報告されており、政府自らも貴族院最後の審議に当って、法案の成立が特に台銀のために必要である旨を言明しておる。と同時にその後の現実の事態の進行に照らしみても、台銀を救うことによって経済金融の安定を図らんとした政府の狙いは、少なくとも結果論的にいって、決して的を外れたものではなかったといい得る。<br>
　そうした状態の台湾銀行は、日常業務の金繰りにも困り、いわば日貸しの金をやり繰りして日々を凌ぐ状態に陥っていた。従って台銀は当時のコール市場での最大の借り手となっていた。<br>
　コール市場について若干説明がいるであろう。早く言えば“日貸し”の資金を銀行相互で貸したり借りたりの出会いをつける取引関係だと思えばいい。余裕のある銀行は出し手、余裕のない銀行は借り手となる。そして台銀は当時ほとんどもっぱら常習的な借り手であり、天下の銀行はこぞって遊金を台銀に廻して利子を稼いでいたといっても過言ではなかった。<br>
　ところが情けないことには、それはことごとく期限の極度に短い借金であるために、毎日のように返済の必要が生じた。借り替えに利子のカサむはよいとして、次にまた借りられるかどうかは確かではない。それがタタって、震災手形論議の高潮に達した三月半頃から、貸し手から取り立てが急に増加し、台銀の金繰りは急速に危機に向かった。特にその取り立ての急先鋒が実に三井銀行だった。<br>
　三井銀行が台湾銀行への短期貸しを強引に引揚げたことについては当時いろいろ取沙汰された。もちろん銀行として堅実な営業を行う上からいえば、不確実な相手に貸金を残して置くことは許されぬことである。一方台湾銀行が当時不確実な借り手であったこともまた確かである。しかし、三井銀行に対する世間の批判はもっと別なところへ目をつけていた。<br>
　台湾銀行と切っても切れぬ間柄の鈴木商店は、いわば三井、三菱と天下を三文する財閥商社であった。特に鈴木商店の強引な競争振りは一種の定評があった。三井としその鈴木を窮地に陥れ、もって強力な競争者を除くには、台湾銀行の窮状はまたとない機会である。三井銀行が率先して台銀への貸金回収を急いだのにはそうした重要な含みがあったのだ。世間の批評はこういう風に見たのである。<br>
　その批評が当っていたかどうかは固より知るべくもない。歴史の経過はただこうして鈴木商店が消え去ったことを教えるだけである。<br>
　既に震手整理案そのものが、台湾銀行の救済に最も重大な関係があったことは、政府当局自ら議会で認めたところである。しかるに台銀は整理案の恩沢を受ける暇もなく、その短期債務を回収されて支払停止の危機に迫られた。事態を重視した政府は、こんどは台銀に対する日銀の特別融資を保証することによって、コールの取り付けを防ごうとした。そのために二億円限度の損失補償を立案化しようとした。民間銀行からの短期資金の掻き集めで日を送っていた台銀としては、その資金回収殺到に応ずるためには、日銀から借り出す外に手はなく、その日銀といえども国庫の補償もない限り危ない相手に大金を融通することは不可能だったからである。<br>
　ところがこれには多少の裏話がある。政府は当初は時の日銀総裁市来乙彦に旨を授け、コッソリ黙って融資させ、後になってその損失補償を立法化しようと考えていた。ところが市来総裁は最初一応承知したが、何故か後にこれを拒否した。そして法的効果のある何らかの措置を要求した。法的措置といっても議会を召集する時間的余裕などはない。勢い緊急勅令による外ない立場に追い込まれた。<br>
<br>
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※このブログ記事の続き<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51346811.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（１）<br>
　関東大震災の負の遺産～震災手形問題</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51350882.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（２）<br>
　昭和二年の政局～片岡蔵相の失言と与野党の攻防</A><br>
・【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（３）<br>
　台湾銀行の救済～鈴木商店の経営難と短期コール市場<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352516.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（４）<br>
　万策尽きる～銀行不信が全国に波及</A><br>
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<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51350882.html">
<title>【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（２）昭和二年の政局</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51350882.html</link>
<description>（２）昭和二年の政局～片岡蔵相の失言と与野党の攻防
　震災手形整理法案が衆議院に提出されたのが、昭和二年一月二十六日、それが貴族院を通って成立したのが三月二十三日、その間約二ヶ月―正しくは後に説明する如く後半の一ヶ月―“反対国民大会”なるものまでが開かれ...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-07-06T21:55:39+09:00</dc:date>
<dc:subject>政治・経済</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[（２）<b>昭和二年の政局</b>～<i>片岡蔵相の失言と与野党の攻防</i><br>
　震災手形整理法案が衆議院に提出されたのが、昭和二年一月二十六日、それが貴族院を通って成立したのが三月二十三日、その間約二ヶ月―正しくは後に説明する如く後半の一ヶ月―“反対国民大会”なるものまでが開かれるという猛烈な反対に曝された。野党攻勢の最も意地悪かった点は、何という銀行が、どれだけ震災手形を持っているか明白にせよという要求が、繰り返し繰り返しなされたことである。政府側はそれに対して、銀行の信用に関する事柄だからとの理由で発表を拒んだことはいうまでもないが、このことがどれだけ銀行個々の内容に関する憶測と疑惑を生んだか測り知り難い。やがて大恐慌に至る心理的下地は既にこの間に作られていたといってよかろう。<br>
　ところがそうした議会の反対闘争が最も高潮に達していた三月十四日の衆議院予算委員会で、片岡蔵相が不用意にも「東京渡邊銀行」の手形不渡り事件を公表した。今日では不渡手形などはザラにある茶飯事の如く？思われているが、当時では商取引上の致命的なことであった。ましてそれを銀行自身が出したとあっては重大でないわけにゆかぬ。当の渡邊銀行は三月十四日に出した不渡りだけでは後ほど工面して何とか片をつけたけれど、それと同時に翌日からの休業を発表した。つまりいわゆる“大戸を下ろした”のである。<br>
　東京渡邊銀行の休業が蔵相の“失言”さえなかったら免れ得たものであったかどうかについては、当時においても否定的批判が多かった。しかし、たまたま予算委員会で答弁中のところへ、次官からメモの形で知らされた大臣が、その場でそのまま喋ってしまったことは、少なくともその後の経過から判断する限り、必要のないことを喋ったという意味で、一つの政治的失言であったことは否定し難い。だが、何はともあれ、東京渡邊銀行の休業が震災手形で刺激されていた不安人気を、いやが上にも深刻にしたことは間違いないのである。<br>
　話を少し遡らせるが、時の政府はこのような微妙にして重要な法律案を議会に出すにあたって、慎重さを欠いていたのではなかったかとする疑問は、特に“後世の史家”の当然招くところであろう。四月下旬恐慌が最高潮に達した最中に、前の日銀総裁、後の大蔵大臣井上準之助は、「片岡君は功を急いだ」と嘆いたが、前に述べたいわゆる失言問題もあって、蔵相片岡直温が軽率にこの問題を掘り下げたという印象は、当時一般に持たれた感じであった。<br>
　ところがこれには次のような経緯があった。時の内閣は憲政会総裁若槻礼次郎は首班とする少数単独内閣であったが、野党には田中義一を総裁とする政友会と、床次竹ニ郎を総裁とする政友本会とがあり、三派で議席を三分していた。そのいずれか二つが手を握れば議会を左右し得る態勢であった。その年の初め、議会が開かれるや、野党連合の不信任決議案が提出されたが、やがて昭和新政を翼賛するという名義で三党首会談なるものが行なわれて、野党は不信任案を取り下げるとともに政府を助けて“新政下初の予算”を無事成立せしめようということになった。震災手形整理案が議会に提出されたのは実にこうした空気の中であったので、その上片岡蔵相は特に野党総裁を訪問して、震災手形整理の微妙さを説き、野党の協力を懇請し、その承諾を得たのである。<br>
　この政治休戦の空気と蔵相の野党説得とが如何に震災手形法案審議に効果があったかは、法案が議会に出た一月末から、三月二日衆議院の特別委員会を通過するまでは、「法案の是非については議会においても評論界においても特に目立って論ぜられるということはなかった（朝日経済年史）」ことからいっても判る。ところが、である。二月の末になって与党憲政会と野党の政友本党との間にひそかなる盟約が結ばれ、お互いに閣外協力による政権のタライ廻しを予想される提携―世上これを憲本連盟と呼んだ―が生まれた。三党協力の政治休戦体制を早くも破れたのである。<br>
　純粋野党となった政友会が、震災手形整理法案をタネにして、猛烈な攻勢に出たのはその故であり、その時からである。三月二日の衆議院特別委員会は、希望条件付き程度で素直に通ったが、それから貴族院を通る三月二十三日まで、両院を通じてあらゆる攻撃阻止の手が打たれ、新聞評論界もそれにチョウチンをつけて論難攻撃を展開した。攻勢展開に先立ち、田中政友会総裁は使を片岡蔵相の許に派して、「政情の変化」を理由に、前回の諒解―震災手形法案の成立に協力するという諒解―の取消しを通告した。片岡は後日このイキサツを発表し、このような経済界全体の重要問題を「政情の変化」などという理由で理不尽に扱った田中を怪しからぬ裏切りものと攻撃したが、田中や政友会にしてみればむしろ憲本連盟こそ怪しからぬ裏切りだと言いたかったのであろう。<br>
　裏切りか裏切りでないかはともかくとして、政友会のこの急転向が震手問題をコジらせ、後の金融恐慌を決定的にしたことは確かである。<br>
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※このブログ記事の続き<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51346811.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（１）<br>
　関東大震災の負の遺産～震災手形問題</A><br>
・【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（２）<br>
　昭和二年の政局～片岡蔵相の失言と与野党の攻防<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352476.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（３）<br>
　台湾銀行の救済～鈴木商店の経営難と短期コール市場</A>　<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352516.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（４）<br>
　万策尽きる～銀行不信が全国に波及</A><br>
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<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51346811.html">
<title>【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（１）関東大震災の負の遺産</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51346811.html</link>
<description>当時朝日新聞の経済部記者をしていた筆者は、昭和金融恐慌が起こった一連の経緯をこう回想している。
前回、当時の総理大臣若槻礼次郎の回想録を載せました。前回は片岡大蔵大臣の失言を発端とした政治的な見方だったのに対し、今回は当時抱えていた経済問題や政治的背景が...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-07-05T21:58:44+09:00</dc:date>
<dc:subject>政治・経済</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[当時朝日新聞の経済部記者をしていた筆者は、昭和金融恐慌が起こった一連の経緯をこう回想している。<br>
前回、当時の総理大臣若槻礼次郎の回想録を載せました。前回は片岡大蔵大臣の失言を発端とした政治的な見方だったのに対し、今回は当時抱えていた経済問題や政治的背景が詳しく書かれております。<br>
<br>
<br>
●ある新聞記者の回想<br>
（１）<b>関東大震災の負の遺産</b>～<i>震災手形問題</i><br>
　昭和金融恐慌を語るには先ず震手問題の話をせねばならぬ。震手問題などといっても、今日では殆んど誰も知らぬだろうし、その頃でも“震える手”とは何だなどと笑い話になったほどだ。<br>
　震手はむろん“震える手”ではない。震災手形の新聞略語である。では震災手形とは何か。大正十二年の関東大震災の混乱と壊滅の中で、金融取引が円滑を欠いたことは当然想像できる。地震が起ころうがどうしようが、借金の期限は遠慮なく到来する。ところがそんなものが順調に払われるはずは金輪際ない。殆んど総ての借金が払われないとなると、次から次へと支払いが止まり、金を貸している大本の銀行では預金者への支払いもできなくなる。そんなことは通常の場合でも大問題だ。まして震災混乱の最中では、せめて銀行ぐらいは順当に動いていなければ、預金だけではない、給料も賃金も払われない。世の中は立ってゆかない。<br>
　政府はとりあえず法律に代わる緊急勅令で先ず九月一杯のモラトリアム（全般的支払延期）を実施したが、支払い延期では問題が解決しない。そこで九月の末に、震災地（東京、神奈川、埼玉など）を支払地とする一切の手形―転々売買される借金の証文―について、これを無条件で日本銀行に持ち込んで金に替えてもよいということにした。そうしてそのために後日損失が日銀にかかるようなことが起こったら、国家が総額一億円を限度に補償しようということになり、その意味の緊急勅令がモラトリアムに取って代わった。<br>
　震災手形とはその勅令の条件を備えた手形のことで、その後は手形債務者の信用如何にかかわらず、日銀で無条件に割引され、したがって大手を振って金融界を横行した。しかし、それも右の緊急勅令が有効な限りの話であって、勅令が満期失効にでもなったら、たちまち相手にされなくなるという哀れな手形である。それが昭和二年当時まだ二億円以上残っていたのである。<br>
　そうした怪しげな不安定な手形が、大震災の後腐れとして巨額に残っているのでは、経済の安定はとうてい望み難いということから、その整理に取りかかったのが、若槻内閣の大蔵大臣片岡直温であった。それまででも既に二回にわたってこの法律（損失補償の緊急勅令）の期限延期をして来たのであるが、この年の九月末がその満期で、当局として三度延長するか、もしくは何か別の整理方法を採り上げねばならぬ立場にあった。なぜならこの法律によって日本銀行に持ち込まれた手形の総額四億三千万円の中でほぼ半分近い二億六百万円余りが前年昭和元年末になお未決済のまま残っており、その早急返済などはとうてい期待すべくもなかったからである。<br>
　片岡蔵相の震手整理案の内容がどうであったかは金融大恐慌そのものと直接関係がないからここでは触れぬ。とにかくそうした大震災の後腐れの整理に絡んで、政治上、経済上の苛烈な勢力争いがモツれ、時の若槻内閣の倒壊のみならず、日本全国の銀行という銀行がみんな大戸を閉めるという騒ぎにまでなったのが、昭和金融大恐慌である。<br>
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※このブログ記事の続き<br>
・【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（１）<br>
　関東大震災の負の遺産～震災手形問題<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51350882.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（２）<br>
　昭和二年の政局～片岡蔵相の失言と与野党の攻防</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352476.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（３）<br>
　台湾銀行の救済～鈴木商店の経営難と短期コール市場</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51352516.html">【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想（４）<br>
　万策尽きる～銀行不信が全国に波及</A><br>
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<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51346087.html">
<title>【若槻回顧録】昭和金融恐慌はなぜ起こったのか？</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51346087.html</link>
<description>昭和二年、衆議院予算委員会の席上で大蔵大臣の失言により起こったとされる金融恐慌はいかにして起こったのだろう。その発生の原因とその後の経緯について、総理大臣の若槻礼次郎はこう記録している。


●若槻礼次郎の回顧録より（一部抜粋）
　この議会中に、意外の出...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-06-25T23:16:18+09:00</dc:date>
<dc:subject>政治・経済</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[昭和二年、衆議院予算委員会の席上で大蔵大臣の失言により起こったとされる金融恐慌はいかにして起こったのだろう。その発生の原因とその後の経緯について、総理大臣の若槻礼次郎はこう記録している。<br>
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<br>
●<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%A7%BB%E7%A4%BC%E6%AC%A1%E9%83%8E" Target="_blank">若槻礼次郎</A>の回顧録より（一部抜粋）<br>
　この議会中に、意外の出来事が起こった。その日私は、病気で議会に出席しなかったが、大蔵大臣の<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B2%A1%E7%9B%B4%E6%B8%A9" Target="_blank">片岡直温</A>君が<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E7%AE%97%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A" Target="_blank">予算委員会</A>で<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%8F%8B%E4%BC%9A" Target="_blank">政友会</A>の議員たちと渡り合い、相当激昂していた。それは財界の不況について非難を浴びせられたからであった。その際大蔵次官が「（東京渡辺銀行傘下の）あかぢ銀行が店を閉まいました」と紙片に書いて、それを大臣の卓上に差し出した。片岡はそれを読んで「君らがあまり騒ぐから、<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E9%8A%80%E8%A1%8C" Target="_blank">東京渡辺銀行</A>がついに店を閉めたじゃないか」とやった。これで騒ぎが大きくなり、委員会は大混乱に陥った。そこで翌日、私は病を押して登院し、予算委員会に出た。そして議員の質問に対して、片岡の立ちかけるのを押えて、すべて私が答弁した。「いま大蔵大臣に質問しているのだ、総理大臣の答弁はいらん」というのを構わず答弁して、とにかくその日は済んだ。その日は済んだが、それからというものは、衆議院でも貴族院でも、委員会でも本会議でも、いろいろな人間が財界の弱点を暴露した。それで政府を苦しめようというのだが、それによって民間の疑惑を大きくし、恐慌の状態を呈せんとするに至った。政府に対する攻撃は我慢するが、財界を惑わすことは言ってくれるなと言えば、つけあがって、それ政府が困っているぞ、ますますやれという風で、手がつけられない。そんな不安な情勢のうちに議会は閉会となった。<br>
　そのころ、<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E9%8A%80%E8%A1%8C" Target="_blank">台湾銀行</A>の不正貸出事件が暴露して、財界の混乱に拍車をかけた。その導火線ともいうべきものは、<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%95%E9%8A%80%E8%A1%8C" Target="_blank">三井銀行</A>が台湾銀行に与えておった<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B8%82%E5%A0%B4" Target="_blank">コールローン</A>（一時貸）の一千万円を突如として引揚げたことに始った。事の起こりは、大正六、七年のころ、台湾銀行が神戸の<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%95%86%E5%BA%97" Target="_blank">鈴木商店</A>に一千万円の借款を与えた。その頃の一千万円とえいば非常な大金である。そんな大金を一商店に貸すという事は、銀行として不謹慎といわなければならない。期限が来ても鈴木は返せない。前の貸しを生かすために又一千万円貸す。ずるずるべったりにあとからあとから注ぎ込んで、大正十五年には二億円の貸しとなった。これは原内閣時代以来で、どの内閣の時も行なわれていたのだが、政界の問題にならなかった。私もそんな事は、問題になるまで知らなかった。<br>
　ところで、三井がコールを引揚げたので、ほかの銀行も、これは大変だと、おいおい台湾銀行からコールを引揚げようとした。台湾銀行では、それまで市中のコールを借り集めて鈴木商店への固定貸しに充てていたのだが、鈴木からは取れない、コールは払えない。これでは銀行は潰れる外はない。そこで日本銀行から二億円借りて、このコールの肩代わりをして、とにかく台湾銀行を救済しようということになった。ところが日本銀行では、もう大分台湾銀行に金を貸している。一銀行のために、そう沢山出すわけにいかん。これ以上貸すには、政府が保証して、まさかの場合、政府が代わって払ってもらいたいという。<br>
　政府が保証するとか、代わって金を払うとかいうことは、議会の協賛を経なければならない。ところがそれは四月ごろのことで、ちょうど三月三十一日に議会が済んだばかりである。これから<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E6%99%82%E5%9B%BD%E4%BC%9A" Target="_blank">臨時議会</A>を召集して、議決を経るまでに、市中は大混乱に陥るかも知れない。<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A3%E8%AD%B0" Target="_blank">閣議</A>でこの事を相談すると、臨時議会は間に合わないから、緊急処分で行こう。緊急処分は<A Href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%A2%E5%AF%86%E9%99%A2" Target="_blank">枢密院</A>にかけなければならんが、枢密院といえども、この緊迫した場合、国民の利害を無視するはずがないといって、閣議は緊急処分という事に決まった。そのとき私は、枢密院へ出したら厄介だぞ、どうなるか判らんぞといって注意したが、強いて反対はしなかった。というのは枢密院の人たちは、世間の実際にはほとんど無頓着で、理屈ばかり述べる。その理屈も、憲法論だけでなく、不純な空気もある。いろいろな思惑の人もいる。特に私の内閣に対して好意を持っている人はいない。それを私が知っているからであった。<br>
<br>
<br>
<br>
○簡単なフローチャートにしてみました<br>
⇒大蔵大臣の失言<br>
⇒東京渡辺銀行が破綻<br>
⇒野党が金融不安を煽る（政争の具に利用する）<br>
⇒台湾銀行の鈴木商店への不正貸付疑惑に波及<br>
⇒三井銀行が台湾銀行への短期融資を引揚げ<br>
⇒政府が台湾銀行に対して公的資金の投入を検討<br>
⇒通常議会が閉会しているので、枢密院にその決断を委ねる<br>
⇒枢密院が救済案を否決、若槻内閣が総辞職する<br>
⇒中小企業の倒産が相次ぎ、日本経済は慢性的な不況へ・・・<br>
<br>
(。-`ω-) さて、悪いのは誰でしょう？<br>
<br>
<br>
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</item>
<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51345924.html">
<title>【歴史用語】勅語・詔書・勅諭の違い</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51345924.html</link>
<description>歴史の本を読んでいると現代では使わない独特の言い回しがあったりする。
「教育勅語」だとか「軍人勅語」だとか出てくるが、天皇が発したこれらの勅語・詔書・勅諭はそれぞれ意味が違う。
(。-`ω-) 頭が混乱する・・・


●勅語・・・天皇が大権に基づき、親しく国民...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-06-24T15:07:09+09:00</dc:date>
<dc:subject>戦前昭和史</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[歴史の本を読んでいると現代では使わない独特の言い回しがあったりする。<br>
「教育勅語」だとか「軍人勅語」だとか出てくるが、天皇が発したこれらの勅語・詔書・勅諭はそれぞれ意味が違う。<br>
(。-`ω-) 頭が混乱する・・・<br>
<br>
<br>
●勅語・・・天皇が大権に基づき、親しく国民に天皇の意思を発表したもの。国務大臣の副署を要しない。<br>
（例）教育勅語<br>
<br>
<br>
●詔書（または詔勅）・・・皇室の大事及び天皇大権の施行に関する勅旨を宣告するもの。公文書になる。国務大臣の副署を要する。<br>
（例）宣戦の詔書、終戦の詔書、また現代においては国会の召集、衆議院の解散、総選挙の公示がこれにあたる。<br>
<br>
<br>
●勅諭・・・天皇が親しく下されたお諭し。特定を対象にしていること、より訓示的な意味合いが強いという点で、勅語とは異なる。国務大臣の副署を要しない。<br>
（例）軍人勅諭<br>
<br>
<br>
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</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51342063.html">
<title>【若槻回顧録】「昭和」という年号</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51342063.html</link>
<description>「昭和」という年号には“世界平和 万民安寧”という意味込められていたが、その意に反して激動の時代を辿っている。
新天皇が即位した後、真っ先に新しい年号をどうするかという話し合いがなされた。枢密院で決定したようだが、当時内閣総理大臣を務めていた若槻礼次郎がそ...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-06-19T23:38:40+09:00</dc:date>
<dc:subject>戦前昭和史</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[「昭和」という年号には“世界平和 万民安寧”という意味込められていたが、その意に反して激動の時代を辿っている。<br>
新天皇が即位した後、真っ先に新しい年号をどうするかという話し合いがなされた。枢密院で決定したようだが、当時内閣総理大臣を務めていた若槻礼次郎がその会議でのやり取りをこう書き記している。<br>
<br>
<br>
●若槻礼次郎の回顧録より一部抜粋<br>
　昭和という年号は、政府の提案であったが、それは宮内省の御用掛が調べたもので、書経の『万邦協和、百姓昭明』から取ったものであった。ところがこれに対し倉富勇三郎顧問官が私案を出し、「上治」としてはどうかと云い出した。それは易経の中の言葉だという。倉富のいうには、「万邦協和」うんぬんの言葉は、書経中の尭典（ぎょうてん）にある。尭は禅譲の天子で、位を子孫にお譲りにならないで、舜（しゅん）に譲り、舜は禹（う）に譲って、今日でいう共和政治のようなものだ。だから「昭和」はいかん。それより「上治」のほうがいいというのであった。これは後の話だが、西園寺公がこのことを聞かれて、日本の元号には、今まで書経から出たものが沢山あるじゃないか。それを今になってあれやこれやということはない。書経で宜しいと云って笑われた。とにかくこの時の枢密院会議は、倉富の説が出ただけで、誰も異論がなく「昭和」に決定した。あとで調べて見ると、中国の五代あたりに、「上治」という年号があったことが判り、それを採らないでよかったということになった。<br>
　これも西園寺公の話だが公は年号などによほど関心をもっておられ、年号は画の少ないものが宜しい。慶応何年と書くのは、一般の人にはむずかし過ぎる。「明治」とか「大正」とかは、誰にでも直ぐ書ける。「昭和」も字画が少なくていいと云っておられた。それに公は、平和とか調和とかいう「和」の字に重きを置かれ、「昭和」という年号を喜んでおられたようである。<br>
<br>
<br>
<br>
あの時代も平和を望んでいたけれども、戦争が起こった。<br>
(。-`ω-) 「平成」は俺でも書ける・・・<br>
<br>
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</item>
<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51285502.html">
<title>【保存版】 カラーフィルム・昭和の戦争と平和</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51285502.html</link>
<description>戦前の貴重なカラーフィルムを集めた動画がありました。
カラー映像で見ると、実に真実味がありますね。
(。-`ω-) なんで今まで世にでなかったんだろう・・・



●昭和の戦争と平和
　　　　　　～カラーフィルムよみがえる時代の表情～

【1/6】日中戦争以前

...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-05-23T23:02:17+09:00</dc:date>
<dc:subject>戦前昭和史</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[戦前の貴重なカラーフィルムを集めた動画がありました。<br>
カラー映像で見ると、実に真実味がありますね。<br>
(。-`ω-) なんで今まで世にでなかったんだろう・・・<br>
<br>
<br>
<br>
●昭和の戦争と平和<br>
　　　　　　～カラーフィルムよみがえる時代の表情～<br>
<br>
【1/6】日中戦争以前<br>
<object width="425" height="355"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/-BIGNLJcld0&hl=ja"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/-BIGNLJcld0&hl=ja" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="300" height="247"></embed></object><br>
<br>
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<br>
【2/6】秩父宮欧州歴訪～日中戦争勃発<br>
<object width="425" height="355"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/ZHvFwqfTQF0&hl=ja"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/ZHvFwqfTQF0&hl=ja" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="300" height="247"></embed></object><br>
<br>
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【3/6】日中戦争～太平洋戦争中期 <br>
<object width="425" height="355"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/z6pUiFolIHI&hl=ja"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/z6pUiFolIHI&hl=ja" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="300" height="247"></embed></object><br>
<br>
<br>
<br>
【4/6】太平洋戦争中期～後期  <br>
<object width="425" height="355"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/z-i_BsDLl8g&hl=ja"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/z-i_BsDLl8g&hl=ja" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="300" height="247"></embed></object><br>
<br>
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【5/6】太平洋戦争後期～降伏～引き揚げ～戦後 <br>
<object width="425" height="355"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/VlpUFPW7WNw&hl=ja"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/VlpUFPW7WNw&hl=ja" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="300" height="247"></embed></object><br>
<br>
<br>
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【6/6】戦後～天皇巡幸～新しい日本の幕開け<br>
<object width="425" height="355"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/qWfu9Xpr47k&hl=ja"></param><param name="wmode" value="transparent"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/qWfu9Xpr47k&hl=ja" type="application/x-shockwave-flash" wmode="transparent" width="300" height="247"></embed></object><br>
<br>
<br>
<br>
<br>
軍国主義が日本を戦争へ導いたのか、それとも戦争が日本を軍国主義に変えていったのか・・・<br>
(。-`ω-) 卵が先か、ニワトリが先か・・・<br>
<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51202899.html">
<title>偉人の名言集（５３） “読書”</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51202899.html</link>
<description>偉人達の名言に学ぶ
心に残った言葉を書き連ねておこう。
(。-`ω-)ンー 



【読書】
『読書は単に知識の材料を供給するだけである。それを自家のものとするのは思索の力である。』
●三木清（哲学者）



【読書】
『人の品性は、その読む本によって判ずるこ...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-05-15T23:03:58+09:00</dc:date>
<dc:subject>名言・格言・語録</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[偉人達の名言に学ぶ<br>
心に残った言葉を書き連ねておこう。<br>
(。-`ω-)ンー <br>
<br>
<br>
<br>
【読書】<br>
『読書は単に知識の材料を供給するだけである。それを自家のものとするのは思索の力である。』<br>
●三木清（哲学者）<br>
<br>
<br>
<br>
【読書】<br>
『人の品性は、その読む本によって判ずることができる。』<br>
●スマイルズ（イギリスの作家）<br>
<br>
<br>
<br>
【読書】<br>
『部屋に書籍のないのは身体に魂のないようなものだ。』<br>
●キケロ（ローマの哲学者）<br>
<br>
<br>
<br>
【読書】<br>
『自分が「面白い」と思わない本は無理にわかろうとしなくてもいい。』<br>
●中村雄二郎（哲学者）<br>
<br>
<br>
<br>
【読書】<br>
『本を読むことは、想像力と感受性の世界の中で、人間の可能性の広がり、善の能力から悪の能力までの幅の広さを、本人として経験することである。』<br>
●京極純一（政治学者）<br>
<br>
<br>
<br>
※前回のブログ記事<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51202895.html">偉人の名言集（５２） “疑問”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51209813.html">偉人の名言集（５１）</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51204587.html">偉人の名言集（５０） “道”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４９） “学ぶ”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51198017.html">偉人の名言集（４８） “喝”</A><br>
<br>
<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51202895.html">
<title>偉人の名言集（５２） “疑問”</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51202895.html</link>
<description>偉人達の名言に学ぶ
心に残った言葉を書き連ねておこう。
(。-`ω-)ンー 



【疑問】
『人間は疑念を持つが、これが科学の芽生えである。』
●エマーソン（アメリカの哲学者）



【疑問】
『 大疑は大進すべし。
　小疑は小進すべし。
　疑わざれば進まず。...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-03-02T23:24:11+09:00</dc:date>
<dc:subject>名言・格言・語録</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[偉人達の名言に学ぶ<br>
心に残った言葉を書き連ねておこう。<br>
(。-`ω-)ンー <br>
<br>
<br>
<br>
【疑問】<br>
『人間は疑念を持つが、これが科学の芽生えである。』<br>
●エマーソン（アメリカの哲学者）<br>
<br>
<br>
<br>
【疑問】<br>
『 大疑は大進すべし。<br>
　小疑は小進すべし。<br>
　疑わざれば進まず。 』<br>
●朱子（中国宋代の学者、朱子学の祖）<br>
<br>
<br>
<br>
【疑問】<br>
『思索の放棄は精神上の破産宣告である。自分の思索によって真理を認識することができるのだという確信を失った時、疑惑が始まる。』<br>
●シュバイツァー（フランスの哲学者）<br>
<br>
<br>
<br>
【疑問】<br>
『世界の災いの一つは、何か特定のことを独断的に信ずる習慣である、と私は思う。そして、それらはすべて疑問に満ちており、理性的な人間なら、自分が絶対に正しいなどとむやみに信じたりはしないだろう。私たちは、常に私たちの意見にある程度の疑いを交えなければいけないと思う。』<br>
●ラッセル（イギリスの哲学者）<br>
<br>
<br>
<br>
【疑問】<br>
『人間的な知性の自由はさしあたり懐疑のうちにある。自由人といわれる者で懐疑的でなかったような人を私は知らない。』<br>
●三木清（哲学者）<br>
<br>
<br>
<br>
次回：<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51202899.html">偉人の名言集（５３）“読書”</A><br>
<br>
※前回のブログ記事<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51209813.html">偉人の名言集（５１）</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51204587.html">偉人の名言集（５０） “道”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４９） “学ぶ”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51198017.html">偉人の名言集（４８） “喝”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４７） “挑戦”</A><br>
<br>
<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51226835.html">
<title>新年のご挨拶</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51226835.html</link>
<description>昨年は当ブログにお越し頂き、誠にありがとうございました。

一年というのは早い。最近つくづくそう思いますな。

当ブログを開設して、約一年半が経過しました。
過去の自分の書いた記事を読み返してみると、時事ネタ、歴史ネタ、精神・宗教・思想ネタ・・・と勝手な...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2008-01-03T00:19:51+09:00</dc:date>
<dc:subject>日記・回想</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[昨年は当ブログにお越し頂き、誠にありがとうございました。<br>
<br>
一年というのは早い。最近つくづくそう思いますな。<br>
<br>
当ブログを開設して、約一年半が経過しました。<br>
過去の自分の書いた記事を読み返してみると、時事ネタ、歴史ネタ、精神・宗教・思想ネタ・・・と勝手なことを書いています。<br>
我々が生きているこの社会には、もっと掘り下げて考えるべきこと、矛盾していること、不可解なことがたくさんあるんではないかなあ、と思います。その日その日感ずるままに筆を走らせてきたような気がします。<br>
<br>
今年からは多忙につき、ブログを更新できなくなることが予想されますが、これからも引き続きご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。<br>
(。-`ω-) ペコリ<br>
<br>
<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51209813.html">
<title>偉人の名言集（５１）</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51209813.html</link>
<description>偉人達の名言に学ぶ
心に残った言葉を書き連ねておこう。
(。-`ω-)ンー 



【成功指数】
『人生を成功に導く要因のうち、ＩＱが関係するのは多く見積もってもせいぜい２０パーセントどまりだろう。「ある人間が社会でどのような地位に落ち着くかは、社会階級から運...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2007-12-11T23:14:33+09:00</dc:date>
<dc:subject>名言・格言・語録</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[偉人達の名言に学ぶ<br>
心に残った言葉を書き連ねておこう。<br>
(。-`ω-)ンー <br>
<br>
<br>
<br>
【成功指数】<br>
『人生を成功に導く要因のうち、ＩＱが関係するのは多く見積もってもせいぜい２０パーセントどまりだろう。「ある人間が社会でどのような地位に落ち着くかは、社会階級から運不運にいたるまで、およそＩＱとは無関係な要因であらかた決まってしまうものだ」という人さえいる。』<br>
●D・ゴールドマン（アメリカの心理学者）<br>
<br>
<br>
<br>
【見識】<br>
『昨夜の考案も今朝はこれを冷笑する見識を持たなければならない。』<br>
●バートン（イギリスの探検家）<br>
<br>
<br>
<br>
【若さ】<br>
『大業を成し遂げようと思ったら、年老いても青年でなければならない。』<br>
●ゲーテ（ドイツの作家）<br>
<br>
<br>
<br>
【動機】<br>
『行動にはつねに動機があり、目的がある。動機が正義であり、目的が善であって、その行動だけが悪だということは、人間にはありえない。』<br>
●本田宗一郎（実業家）<br>
<br>
<br>
<br>
【ゆとり】<br>
『アリストテレスの哲学の中心にスコレーという思想がある。スコレーとは、通常訳されているような余暇というよりも、人間が成長するための貴重な時間であり、人生の糧とでも呼ぶべきものである。・・・私たち一人ひとりが自らの生き方を静かに顧みる“ゆとりスコレー”を意図的に作り出していくことが今の日本人にもっとも大切なことであると思う。』<br>
●伊藤助成（実業家）<br>
<br>
<br>
<br>
次回：<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51202895.html">偉人の名言集（５２） “疑問”</A><br>
<br>
※前回のブログ記事<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51204587.html">偉人の名言集（５０） “道”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４９） “学ぶ”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51198017.html">偉人の名言集（４８） “喝”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４７） “挑戦”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51184787.html">偉人の名言集（４６） “自信”</A><br>
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<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51204587.html">
<title>偉人の名言集（５０） “道”</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51204587.html</link>
<description>偉人達の名言に学ぶ
心に残った言葉を書き連ねておこう。
(。-`ω-)ンー 



【善悪】
『一つのことが同時に善であったり悪であったり、そのいずれでもなかったりすることがありうるのである。たとえば、音楽は憂鬱な人には善であるが、喪に服している人には悪であり...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2007-12-05T21:46:58+09:00</dc:date>
<dc:subject>名言・格言・語録</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[偉人達の名言に学ぶ<br>
心に残った言葉を書き連ねておこう。<br>
(。-`ω-)ンー <br>
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【善悪】<br>
『一つのことが同時に善であったり悪であったり、そのいずれでもなかったりすることがありうるのである。たとえば、音楽は憂鬱な人には善であるが、喪に服している人には悪であり、耳が聞こえない人には善でも悪でもないものである。』<br>
●スピノーザ（オランダの哲学者）<br>
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【道】<br>
『人間は一人前になるために、どうしても歩かなければならない道があるのです。その道程が短いか長いか、それだけの違いではないでしょうか。』<br>
●野村克也（楽天イーグルス監督）<br>
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【信仰】<br>
『神仏を尊び　神仏を頼まず。』<br>
●宮本武蔵（江戸時代の武士）<br>
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【精神】<br>
『肉体があまり安楽すると精神が腐敗してくる。』<br>
●ルソー（フランスの哲学者）<br>
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【善悪】<br>
『世間では、オトナのいいなりになる子や、オトナの考え方の枠から飛躍しようとしない子が「いい子」であり、自分の意思を堂々と主張したり、個性的な考え方や行動をする子を「悪い子」というレッテルをはりがちである。けれども私は逆だ。世間でいう「悪い子」に期待している。なぜならそういう子どもこそ個性にあふれ、可能性に満ちた本当の意味の「いい子」だからである。』<br>
●本田宗一郎（実業家）<br>
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次回：<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51209813.html">偉人の名言集（５１）</A><br>
<br>
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・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４９） “学ぶ”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51198017.html">偉人の名言集（４８） “喝”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４７） “挑戦”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51184787.html">偉人の名言集（４６） “自信”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51168674.html">偉人の名言集（４５） “教育”</A><br>
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<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51201423.html">
<title>偉人の名言集（４９） “学ぶ”</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51201423.html</link>
<description>偉人達の名言に学ぶ
心に残った言葉を書き連ねておこう。
(。-`ω-)ンー 



【学ぶ】
『少にして学べば、すなわち壮にして為すことあり。
　壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。
　老いて学べば、すなわち死して朽ちず。』
●佐藤一斎（江戸時代の儒者）

...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2007-12-01T23:20:51+09:00</dc:date>
<dc:subject>名言・格言・語録</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[偉人達の名言に学ぶ<br>
心に残った言葉を書き連ねておこう。<br>
(。-`ω-)ンー <br>
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【学ぶ】<br>
『少にして学べば、すなわち壮にして為すことあり。<br>
　壮にして学べば、すなわち老いて衰えず。<br>
　老いて学べば、すなわち死して朽ちず。』<br>
●佐藤一斎（江戸時代の儒者）<br>
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【学ぶ】<br>
『知らざるを知らずとせよ。これ知るなり。』<br>
●「論語」<br>
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【学ぶ】<br>
『一般に、逆境のある人ほど真剣に勉強する。目標があるからだ。これにたいして、「勉強は義務だ。親が強制するから」と思っている人は、意欲をもって勉強することがない。達成したい目標がないからである。』<br>
●野口悠紀雄（東京大学教授）<br>
<br>
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【学問】<br>
『学問もよし、知識の習得もよし。問題はそれを消化しつくして使いこなす人間的成長があるかどうかだ。』<br>
●松下幸之助（実業家）<br>
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【学問】<br>
『すばしこい人間は学問を軽蔑し、単純な人間はそれを崇拝する。ただ賢い人間はそれを使用する。つまり、学問そのものは自らの使用法を教えない。』<br>
●F・ベーコン（イギリスの哲学者）<br>
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<br>
※前回のブログ記事<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51198017.html">偉人の名言集（４８） “喝”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４７） “挑戦”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51184787.html">偉人の名言集（４６） “自信”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51168674.html">偉人の名言集（４５） “教育”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51136812.html">偉人の名言集（４４） “嫉妬”</A><br>
<br>
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<item rdf:about="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51198017.html">
<title>偉人の名言集（４８） “喝”</title>
<link>http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51198017.html</link>
<description>偉人達の名言に学ぶ
心に残った言葉を書き連ねておこう。
(。-`ω-)ンー 



【和】
『見せかけだけの和はいらない。最初から馴れ合っている人間に発展はない。』
（※）当たり障りのないよう仲よくすることが和ではない。お互いを磨き合い尊敬することが大事だとい...</description>
<dc:creator>tmatsu0405</dc:creator>
<dc:date>2007-11-27T22:16:16+09:00</dc:date>
<dc:subject>名言・格言・語録</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[偉人達の名言に学ぶ<br>
心に残った言葉を書き連ねておこう。<br>
(。-`ω-)ンー <br>
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【和】<br>
『見せかけだけの和はいらない。最初から馴れ合っている人間に発展はない。』<br>
（※）当たり障りのないよう仲よくすることが和ではない。お互いを磨き合い尊敬することが大事だという意味。<br>
●河合滉二（元アサヒビール社長）<br>
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【白紙委任状】<br>
『世の中には往々「任せます」と言いながら、後から「ああだ、こうだ」と言う人がいるが、委ねて任せて交渉の任に当たらせる場合、それは避けるべきだ。』<br>
●瀬島龍三（元大本営参謀・政治顧問）<br>
<br>
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【師】<br>
『天才鬼才はさておき、人が成長していく過程には、かならず師がいるものである。一流の選手が育つには、一流の師がいるものである。』<br>
●川上哲治（元読売ジャイアンツ監督）<br>
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<br>
【合理と非合理】<br>
『合理的な人間は、自分を世界に適応させる。それなのに非合理的な人間は、自分に世界を適応させようとねばる。ところが、あらゆる進歩はこの非合理的な人間に頼っているのだ。』<br>
●バーナード・ショー（イギリスの劇作家）<br>
<br>
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【理解者】<br>
『心の豊かな生涯を送った人には、例外なく、良き理解者がいたことがわかる。才能を開いていった人は、その人なりに努力があったことはいうまでもないが、では本人一人の努力だけで、果たして豊かな人生を送りえたかというと、それは明らかに疑問である。』<br>
●伊藤隆二（教育学博士）<br>
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<br>
※前回のブログ記事<br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51187014.html">偉人の名言集（４７） “挑戦”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51184787.html">偉人の名言集（４６） “自信”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51168674.html">偉人の名言集（４５） “教育”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51136812.html">偉人の名言集（４４） “嫉妬”</A><br>
・<A Href="http://kuwappa.livedoor.biz/archives/51161914.html">偉人の名言集（４３）</A><br>
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