2008年07月07日

【昭和金融恐慌】ある新聞記者の回想(3)台湾銀行の救済4

(3)台湾銀行の救済鈴木商店の経営難と短期コール市場
 今日では閉鎖されて既に存在しないが、当時台湾銀行という半官半民の銀行があった。第一次大戦中の業務膨張がタタってその頃内容が極度に悪化していた。ところがその台湾銀行の最大の債務者は、当時神戸を本拠として世界的に知られていた貿易商社鈴木商店であった。そしてこの商店もやはり当時金繰りに困っていることが公然の秘密として知られていた。これを逆にいうならば、鈴木商店の経営難が台湾銀行の経営難に繋がり、鈴木商店関係の震災手形が台銀手持ちの震災手形の主力であることも想像される状態にあったのである。
 野党攻撃軍の目をつけたのはこの点であった。関係者の氏名を公表せよと執拗に迫ったのもそのせいである。当時反対派の猛将武藤山治(元鐘紡社長、当時実業同志会会長)の如きは、衆議院の反対討論で、「わが国には政商という一つの種族があって、金の儲かる時は自分の懐に入れ、損をするときは政治家と結託して国民の膏血から成る国家の金をもって救済を受ける国である」とまで極言した。政府とその政商―暗に鈴木商店を指す―との間に醜い関係ありとまで断じているのである。
 そうした政府との醜い関係まではともかくとして、鈴木が台銀最大の債務者であり、また台銀が最大の震災手形の持ち主であったことは間違いない。整理案が立案された当時に残存していた震災手形の二億七百万円の約半分が台銀の関係であったと報告されており、政府自らも貴族院最後の審議に当って、法案の成立が特に台銀のために必要である旨を言明しておる。と同時にその後の現実の事態の進行に照らしみても、台銀を救うことによって経済金融の安定を図らんとした政府の狙いは、少なくとも結果論的にいって、決して的を外れたものではなかったといい得る。
 そうした状態の台湾銀行は、日常業務の金繰りにも困り、いわば日貸しの金をやり繰りして日々を凌ぐ状態に陥っていた。従って台銀は当時のコール市場での最大の借り手となっていた。
 コール市場について若干説明がいるであろう。早く言えば“日貸し”の資金を銀行相互で貸したり借りたりの出会いをつける取引関係だと思えばいい。余裕のある銀行は出し手、余裕のない銀行は借り手となる。そして台銀は当時ほとんどもっぱら常習的な借り手であり、天下の銀行はこぞって遊金を台銀に廻して利子を稼いでいたといっても過言ではなかった。
 ところが情けないことには、それはことごとく期限の極度に短い借金であるために、毎日のように返済の必要が生じた。借り替えに利子のカサむはよいとして、次にまた借りられるかどうかは確かではない。それがタタって、震災手形論議の高潮に達した三月半頃から、貸し手から取り立てが急に増加し、台銀の金繰りは急速に危機に向かった。特にその取り立ての急先鋒が実に三井銀行だった。
 三井銀行が台湾銀行への短期貸しを強引に引揚げたことについては当時いろいろ取沙汰された。もちろん銀行として堅実な営業を行う上からいえば、不確実な相手に貸金を残して置くことは許されぬことである。一方台湾銀行が当時不確実な借り手であったこともまた確かである。しかし、三井銀行に対する世間の批判はもっと別なところへ目をつけていた。
 台湾銀行と切っても切れぬ間柄の鈴木商店は、いわば三井、三菱と天下を三文する財閥商社であった。特に鈴木商店の強引な競争振りは一種の定評があった。三井としその鈴木を窮地に陥れ、もって強力な競争者を除くには、台湾銀行の窮状はまたとない機会である。三井銀行が率先して台銀への貸金回収を急いだのにはそうした重要な含みがあったのだ。世間の批評はこういう風に見たのである。
 その批評が当っていたかどうかは固より知るべくもない。歴史の経過はただこうして鈴木商店が消え去ったことを教えるだけである。
 既に震手整理案そのものが、台湾銀行の救済に最も重大な関係があったことは、政府当局自ら議会で認めたところである。しかるに台銀は整理案の恩沢を受ける暇もなく、その短期債務を回収されて支払停止の危機に迫られた。事態を重視した政府は、こんどは台銀に対する日銀の特別融資を保証することによって、コールの取り付けを防ごうとした。そのために二億円限度の損失補償を立案化しようとした。民間銀行からの短期資金の掻き集めで日を送っていた台銀としては、その資金回収殺到に応ずるためには、日銀から借り出す外に手はなく、その日銀といえども国庫の補償もない限り危ない相手に大金を融通することは不可能だったからである。
 ところがこれには多少の裏話がある。政府は当初は時の日銀総裁市来乙彦に旨を授け、コッソリ黙って融資させ、後になってその損失補償を立法化しようと考えていた。ところが市来総裁は最初一応承知したが、何故か後にこれを拒否した。そして法的効果のある何らかの措置を要求した。法的措置といっても議会を召集する時間的余裕などはない。勢い緊急勅令による外ない立場に追い込まれた。



※このブログ記事の続き
(1)関東大震災の負の遺産〜震災手形問題
(2)昭和二年の政局〜片岡蔵相の失言と与野党の攻防
・(3)台湾銀行の救済〜鈴木商店の経営難と短期コール市場
(4)万策尽きる〜銀行不信が全国に波及




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